発端
「陶さん、今回の融資の件ですが、40億と言うことで決定致しました」
 陶隆房は有名なレストランのソムリエ兼経理担当者だ。大内グループの企業拡大のために、新しくテーマパークを作る計画があるらしいのだが、それで50億の融資を申し出た。毛利銀行とはまだ小さな会社だった頃からの付き合いで、隆元と隆房は仲がいい。それに、今のレストランの経営状況を考慮し、40億の融資が決定した。
「それはありがたい。ところで毛利さん、今夜ディナーでもどうです?」
 唐突な隆房の誘いに、隆元は一瞬躊躇ったが今日は金曜。もし仮に飲み過ぎてしまっても、仕事に支障はない。酒好きの隆元は隆房の出すワインの味を想像し、喉を鳴らした。
「えぇ、喜んで。今回の融資の決定祝いも兼ねて」
「それでは迎えに行きますよ。うちのレストランで構いませんか?私の自慢のワインをご馳走しましょう。勿論私が出しましょう」
「悪いですよ」
「いえいえ、毛利銀行さんには随分お世話になってますから」
 私情を持ち込んではいけないとは思いつつも、ついついワインの誘惑に負け、頷いてしまう。
「では今夜」
「はい、お待ちしております」
 ぺこりと礼をすると、隆元はレストランの事務所を後にした。



 隆房は19時半に毛利邸を訪れた。車は勿論と言って良いのか外車で、隆元は右側にある助手席に乗り込んだ。向かった先は隆房がソムリエを勤めるレストランだ。
 隆房の計らいで貸切にしたようで、店内には二人しかいない。奥の厨房からジュウジュウと肉の焼ける音がする。
「こんなにしてもらってすみません」
「お気になさらず、客人を持て成すには当然の計らいですよ」
 厨房では二人の為に何人ものシェフたちが働いているのかと思うと申し訳ない気分になる。特に卑屈になりやすい隆元のことだから、それは相当のものだろう。
「おいしいワインですね」
 グラスに注がれた赤ワインを飲み干す。それはワインを飲むペースではなかった。まるで自棄酒でもしているかのようにボトルの中のワインは減っていく。その度に、ソムリエでもある隆房が次々と注いでいった。
「毛利さんは意外と飲めるんですね、もう一杯いかがですか?」
「えぇ、父には止められてるんですけど酒の席になるとつい…すみません」
「いえ、私は車があって飲めませんから遠慮なく」
 いちいち席を立ち、隆元の隣に立つとナフキンでボトルのラベルを覆い、グラスへワインを注ぐ。それが何度か繰り返された頃、隆元の携帯電話がムードをぶち壊すけたたましい音を立てた。
「あ、すみません、電話が…」
「どうぞ、お出になってください」
「失礼します」
 隆元は一礼するとそそくさと店の外へ出て行った。どうせ店は貸切なのだから、その場で電話に出ても良かったのだ。しかし発信元が元就だったから、もしかしたら仕事の電話かもしれないと思い、隆元はわざわざ店の外に出た。それが隆元の今後の運命を左右するとも知らずに。
 隆元が完全に外に出、後ろを向いたのを確認すると、隆房がポケットから小さな紙の包みを出し、隆元のグラスに注がれたワインの中に包みの中の粉をサラサラと流し込んだ。粉は混ぜなくともワインに浸かった瞬間に溶けていく。
 隆房の顔色が、今までの柔和なものから一変した。
「くくく、とうとう手に入れたぞ……隆元」
 別人のような顔付きで呟くと、隆房は何事もなかったかのように自分の席に戻り、隆元が電話を終えるのを待った。



 翌朝。隆元は下半身を襲う鈍痛で目覚めた。
「痛……」
 痛む腰を摩りながら起き上がり、そして気付く。自分が何一つ纏っていないことに。
 周囲を見渡すが、明らかに自分の部屋ではない。高層マンションの上層階のうちの一部屋のようで、僅かに開いたカーテン越しに窓から見える景色は絶景だった。都心を一望出来る高層マンション。生活感のない部屋だったが、ホテルでもなさそうだ。
 隆元は必死で昨晩の記憶を手繰る。そして見付けた、たった一つの手がかり、クローゼットの入り口に掛けられた、昨日隆房のしていたネクタイと同じ柄のネクタイ。
「お目覚めですか」
「陶…さん…?」
 隆元が慌てて今まで自分がくるまっていた布団を抱きかかえて胸元までもを隠す。まるで生娘のような仕草に、隆房の唇が弧を描く。
「昨晩は一服盛らせていただきました、ご無礼を」
「何を…」
 何を言っているのか分からなかった。そして手鏡を渡される。意味も分からないまま、鏡を覗き込むと、昼近くまで眠ってしまって、寝過ぎた所為か少しむくんだ顔と真っ白な首筋が映し出された。そしてその首筋には情交の痕を色濃く残す小さな痣がいくつも残っている。隆元の顔がサッと青くなる。まさか。
「一枚差し上げましょう、まだ何枚もある。ついでにビデオも撮らせていただきましたよ。ご覧になりますか?」
 渡されたのはポラロイドカメラで撮られた一枚の写真。それを見ると、隆元が快感に喘ぐ表情が映し出されていた。両手を広いベッドに投げ出し、両足の間に男を抱え込んでいる。何をしているかは火を見るより明らかだ。まだ何枚もある、と言った隆房は手の中の小さな束をベッドに撒いた。それらは全て隆元の写真で、隆元のアングルは様々だが全て上から撮ったものでいわゆる「ハメ撮り」と呼ばれるものだろう。
隆房が手に持ったリモコンを操作すると、隆元の枕元にスクリーンが降りてくる。そして再び隆房がリモコンをいじると、部屋が暗くなり、先程まで開いていたカーテンも閉まった。
 ベッドサイドに設置してあるホームシアターシステムを操作すると、映像と共に淫らな喘ぎ声が部屋中に響き渡った。
『あ…ん……!』
「こ、これ、は…っ」
 それは紛れもなく隆元で、しかし聞こえてくる声は聞いたこともないくらい甘い声。尻にローターを押し込まれ、コードだけが出て、リモコンにつながっている。スイッチは最大にさせられ、隆元はびくびくと震えていた。
『隆元』
 隆房の鋭い声と共に、口元に勃起した陰茎が突き付けられる。嫌がる隆元の口に陰茎を押し当てると、先走りで唇にグロスを塗ったように見え、それがいやらしさを引き立てている。鼻を突く饐えた臭いに、思わず口を開けたところへすかさず捻じ込む。
『ヤっ…むぐぅ…っ』
 そして隆房はそのまま腰を振り、隆元の喉の奥を何度も突いた。その間にも隆房はローターのスイッチを強めたり弱めたりして隆元の快感を煽る。
 あまりに扇情的な自身の姿に、隆元が目を背けると隆房が隣りに座り、顎を掴んで無理矢理スクリーンの方を向けた。
「見ろ、あれがお前の本当の姿だ、『隆元』」
「お、覚えていません…早く、消してください…―――!?」
 顎を掴まれたまま、目を逸らそうとすると噛み付くように口付けられた。乱暴に口をこじ開けられ、舌が捩じ込まれる。初めての同性との激しいキスに、隆元はクラクラと眩暈をおぼえた。矢張り隆房ほどの男になると女遊びの経験も豊富なのか、その口付けは巧みで、奥手な隆元には信じられないほどの快感だった。しかも、まだ昼間だと言うのに隆元の陰茎は首をもたげ始めている。気付かれてはならないと、掛け布団を抱き締め、股間を隠すように身体に巻き付ける。
「ぷはっ」
 長い口付けから開放されると、今度は隆房は再び隆元の白い首筋に噛み付いてきた。痛みに顔を顰めると、犬歯の部分に血が滲む。だがそれだけ強く噛まれたのに、隆元が感じたのは快感。隆房が隆元の手を振り払い、乳首を捏ねくり回してきたからだった。
「す、陶さん…ダメです…っ」
「隆元、お前は今まで抱いてきたどんな女よりも美しい」
「やめてください!」
 再び顎を掴んできた隆房を、隆元は思わず突き飛ばしていた。全裸でベッドに放り投げられている状況で、逃げようもないのに、これ以上隆房を逆上させてはいけないと思いつつも、本能は警鐘を鳴らしている。写真の隆元はどれも虚ろな目をしていて、「睡眠薬を盛られた」と言えば皆信じてくれるかもしれない。しかし、今組み敷かれてしまったら、完全に理性がある状態だから、状況は悪化するばかりだ。仮にも感じてしまったらと思うと、恐ろしくてぐうの音も出ない。



「あ…すみません…」
「いいんですよ」
 意に反して返って来たのはいつもと同じ隆房の反応。
「私にはこれがありますから。貴方は私に逆らえない」
「な、何が目的なんですか?追加融資だったらもう一度掛け合って―――」
「俺はね、お前が欲しいんだ、隆元」
 そして再び豹変。ベッドに散らばった写真を一枚拾い上げ、その中に映し出された裸の胸に軽くキスをする。そしてホームシアターシステムをポンポンと叩いた。振り向いた隆房の顔は色に満ちていて、隆元は恐怖すらおぼえた。
「今日はもうお送りしましょう、またお誘いします。いいですね?『毛利さん』」
「……………はい…」
 最早隆元に拒絶の資格は残っていなかった。
 脱がされたまま放っておかれた所為でしわくちゃになったスーツに袖を通し、ネクタイを締める。
「アイロンをお掛けしましょうか?」
 という隆房の申し出は、丁重に断った。確かにみっともない姿だが、今は首筋に無理矢理残されたセックスの痕をどう隠そうかと頭をフル回転させている。
「マフラー、お貸ししましょうか?」
「……お願いします」
 隆房がカシミアのマフラーをいくつか選んでいる最中、隆元は一枚の写真をビリビリに破いてゴミ箱に捨てた。すると隆房から嫌な反応が返ってくる。
「写真はポラで撮ったものだけではありませんから、その写真は全て破いても結構ですよ」
 そう言うと、隆房はポケットからデジタルカメラを取り出した。ピッピッと言う機械音の後、隆元に向けられた画面には、ポラロイドカメラで撮られたものよりも淫猥な画像が映し出されている。
 唖然とする隆元を余所に、隆房は濃いグレーのマフラーを隆元の首に巻いた。
「ほら、これでもう見えません」
 隆元は悔しさに唇を噛み締めた。
「ありがとう…ございます…」
 これからのことを思うと、暖かいマフラーとは真逆に、隆元の心は冷え切っていた。



戻る