生活
 毛利邸は小高い山の上に建っていた。豪邸と言って良いだろうその家には、元就と隆元の父子二人しか住んでいない。あとは住み込みのメイドがいるくらいだ。隆元の母親は9年前に亡くなった。それ以降も、元春が自立し、隆景が自立し、そして秀包までも隆景と共に暮らし始め、とうとう家に残っているのは二人きりになってしまった。それでも寂しいと感じたことはない。ただ、毛利銀行の頭取である父元就との距離の取り方が未だに分からずにいる。
 隆房には家の近くのコンビニエンスストアで降ろしてもらい、そこから歩いて自宅へ向かった。カシミアのマフラーはまだこの時期に巻くにはまだ早く、僅かに汗ばんでいる。隆元は震える手を玄関のドアノブに掛けた。途中で見掛けた駐車場に元春と隆景の車が停っていたから、弟たちは3人とも集まっているのだろう。そう言えば昨晩の電話は、弟たちが帰ってくるから隆元も早く帰るように、と言った内容だった。隆房に飲まされた睡眠薬の所為で、夕べの記憶が曖昧になっている。特に抱かれている最中の記憶などまるでないのだ。しかし、写真とビデオを見せられては否定することが出来ない。眠た気な目で虚ろに喘ぐ姿は、今思い出しても悍ましい。
弟たちはそれぞれ自活し、自分たちの生活を持っている。それに比べて自分は何と惨めなことか。未だに実家に居座り、結婚もせずに仕事に追われ、あろうことか男に抱かれ脅迫までされている。
「あ、隆兄おかえりー」
 ノブを回すのを躊躇っていると、背後から隆景の声が聞こえた。ハッとして振り向くと、3人の弟と元就が立っているではないか。
「何で…」
 確かに車はあったのに。そう言えば元就の車がなかった。弟たちの車に気を取られ、父の車がないことに気付かなかったのだ。もし気付いていれば、さっさと自室へ戻りタートルネックのシャツにでも着替えられたと言うのに。
「兄さん、今丁度昼食に出ていたのですよ」
 元春が日に日に精潭さを増していく顔立ちで言った。言われて腕時計を見ると、針は1時半過ぎを指していた。
 曖昧な記憶を手繰る。確か目を覚ましたときに見たシンプルな壁掛け時計は11時前を示していた筈だ。その後隆房と色々なやりとりがあって、結局もう一度組み敷かれた。素面の状態で撮られた写真がスーツのジャケットのポケットの中に入っている。騎乗位にさせられ、下から撮った写真は手ブレも無く、見事に隆元の媚態を収めていた。写真を撮られそうになった時、隆元は自棄になって動いた。しかし、「写真を撮るから動くな」と言われ、俯いたまま動きを止めた。顔に掛かった髪は隆房の手によって耳に掛けられ、紅潮した頬も潤んだ伏し目がちな目も全て撮られた。しかも、自棄になって動いていたのは部屋の防犯カメラに収められており、それも無理矢理見せられた。そして隆房の家を出たのは1時過ぎ。コンビニエンスストアからは10分も歩かないから、隆元の時間の感覚は、目覚めてからはクリアだ。
「隆元、昨日は何処行ってた」
「あ…父さん…その、陶さんの家へ泊めてもらって…」
「元春たちが帰って来るって電話しただろうが」
「……すみません」
 無意識にマフラーの端を握り締める。つい下に引っ張りそうになったが、隆房との情交の痕を見られてはいけないと我に帰り、マフラーを上げ直して首元をすっぽりと隠した。
「隆兄貴、今朝風呂入った?」
「入ったけど…どうかした?」
「何か…変わった匂いがする」
 クンクンと鼻を近付けてくる秀包にぎくりとする。秀包は鼻が利くから、あまり嗅がれると落とし切れない精液の臭いに辿り着いてしまうかもしれないと、咄嗟に思ったのだ。
「隆元」
 それに追い打ちを掛けるように元就の鋭い声が飛ぶ。
「多分、陶さんの家のボディソープだと思います。高級なものを使っていると言ってましたから…ちょっと着替えてきます」
 隆元は逃げるようにドアノブを回し、自室へ駆け込んだ。背後から訝しむような弟たちと元就の視線が突き刺さる。
 ドアに凭れかかりズルズルと座り込む。
「何で…私ばかり…」
 隆房のマフラーを解いたものの投げ捨てることも出来ず、ただただ抱き締めた。「差し上げますよ」。そう言った隆房の好色そうな声音が耳から離れない。元春の低い声は、それを連想させた。耳朶に唇が触れる距離で愛を囁かれ、耳を塞ぐことも許されず、その忌まわしい愛の言葉を受け入れさせられた。
 卑屈な隆元は、誰かに愛されることに慣れていない。元就からの愛情は十分に注がれていた筈なのに、隆元には届いていなかった。それが余計に隆元を追い詰めることになる。
 その時、携帯電話にメールが入った。怯えた手で携帯電話を開く。ポチポチとボタンを操作し、メールの差出人を見た。隆房だった。そして表示される「添付ファイル1件」の文字。震える手で内容を確認した。そしてサッと青褪める。
『昨夜は楽しい一晩をありがとうございました。
 来週の金曜日、また迎えに参ります。
 時間は昨日と同じで大丈夫ですか?
 来週は直接わたしの家へ行きますので、
 ラフな格好で大丈夫です。
 私服の毛利さんを見るのを楽しみにしていますよ。』
 長いメールの後に添えられていた写真は、隆元が隆房の陰茎を銜えさせられてえずいているシーンだった。慌てて携帯電話を操作し、データフォルダから画像を消去する。
「隆兄ー?だいじょーぶ?」
 ドンドンとドアを叩く音に、ビクリと震えた。隆景だ。心配で見に来たのだろう。ドアの外では秀包と元春の声も聞こえる。
「あ、あぁ…でもまだ着替えが済んでないんだ。もうちょっと待ってもらえるかな?」
 至極冷静を装う。
「まだ着替えてないのー?」
「ちょっと疲れて休んでたんだよ、ゴメンよ、秀包」
 慌てて皺の寄ったスーツを脱ぎ捨て、クローゼットと引っ繰り返すと、小豆色のタートルネックのシャツに袖を通す。ジャケットのポケットから写真を取り出し、細かく破るとゴミ箱に捨てた。首元が自然に隠れていることを確認してから、漸くドアを開けた。
「ゴメンゴメン、随分待たせちゃったね」
「隆兄、風邪でもひいたの?」
「どうして?」
「さっきもマフラーしてたし…まだ秋なのに」
 しかも今日は稀に見る晴天である。窓から見える空には雲一つない。やはり不自然だろうか。弟たちがどやどやと部屋の中に入ってくる。部屋に置かれた革張りのソファに掛けられた隆房のマフラーに、秀包が関心を示す。
「うん、ちょっと寒気がしてね。風邪って程でもないから大丈夫だよ」
 秀包は興味津々だ。余程気に入ったのか、ソファに座り頬擦りしている。
「ねぇ、隆兄貴、このマフラー超気持ちイイね」
「あ、あぁ…それはカシミアって言ってすごくイイ生地なんだよ。なんならあげようか?夜の学校は冷えるだろう?」
「ホントに!?」
「秀包、カシミアは高いんだぞ、そう簡単にもらうモンじゃ…」
「いいんだ、元春。どうせ私には無用の長物だよ。それにそれは貰い物だから、大丈夫」
「貰い物ならば余計に隆兄が持っていた方がイイんじゃないの?」
 秀包のおかげで話が逸れた、と隆元は胸を撫で下ろす。その所為か、声に若干明るさが戻ってきた。しかしスーツを着ている時の癖で、ネクタイを直そうとつい首元に手をやってしまい、ハッとして手を引っ込める。首元を引っ張れば隆房に付けられた痣が見えてしまう。その痣が何を示すのか、元春も隆景も知らない歳ではない。ただ、女性が相手でも痕は付けられると言う事を完全に失念していた隆元の杞憂でもあるが、自分の性生活を弟たちに知られたくはない。若干挙動不審な兄に、上の弟二人は不思議そうな視線を送る。
「隆兄、今日なんか変だよ?」
「そうかい?久しぶりに会ったせいじゃないかな」
「やはり体調をくずしているのでは…」
「そんな事ないよ、とにかくマフラーは秀包にあげるよ」
 無理矢理話を秀包に振ろうとした。その作戦はあっさり成功し、隆景が秀包の隣に座る。元春は更にそのテーブルを挟んだ反対側に腰を降ろし、二人のやり取りを眺めていた。
「包ちん、大事に使うんだよ」
「うん!」
「それにしても気持ちイイねー、これがカシミアかぁ」
「おぉ、俺も一本持ってたけど、部下にやっちまったな」
「えー勿体無い!俺にくれれば良かったのに?」
「虫食いでも良かったか?」
 談笑する弟たちを眺めながら、チラリとゴミ箱を見る。丁度髪を掻き上げる隆房の指と思われる部分が目に入り、隆元は居たたまれずに視線を逸らした。その時。
 隆元の部屋に添え付けられた電話が鳴った。一同が一瞬沈黙して電話の方を見る。内線で掛かってきた電話の主は元就だった。
『おう、隆元か。陶くんから電話だ。昨日の事で謝りた――』
「今日は休日ですので出掛けたと言ってください」
 そう言うと隆元はガチャリと電話を切った。電話の声は弟たちにも聞こえていたらしく、元就の言葉を遮った挙句、勝手に電話を切るなど、普段の隆元からは想像も付かないことだったから、驚いたように隆元を見詰めている。
「隆兄、良かったの?陶さんて取引先の人じゃなかった?」
「プライベートの電話だから大丈夫だよ、折角隆景達が来ているのに邪魔されたくは――」
 今度は隆元の声を遮って、隆元の携帯電話が鳴った。
「ちょっと、ごめんね」
 携帯電話を開くと、そこには『大内グループ:陶隆房』の文字が。携帯電話に掛けられては知らんぷりしても後から掛け直さなければならないし、律儀な隆元が外出先に持っていかないのも不自然だ。渋々通話ボタンを押す。
「はい、隆元です」
「兄さん、携帯だと電話出るんだな」
「元々律儀な人だから直接来られると断わりきれないんじゃない?」
 隆元が電話に出たので、こちらも小声で話す。秀包は相変わらずまだ新品と言っても過言ではないマフラーに顔を埋めている。
『メールの返信もないし、実家にお電話させていただいたのですが、いらっしゃらないと言われたので直接電話させていただきました』
「今弟たちが一緒なんです」
『それはそれは…それで声を潜めているのか?』
 隆房の声色と口調が変わる。隆元は息を呑んだ。これは何かを企んでいるに違いない。しかし隆元はそこから逃げ出す術は持ち合わせていない。
「それは……そうですけど…」
『ちょっと席を外せないか?俺はこのままでもいいが』
 その時、隆景と元春が立ち上がった。
「隆景、元春」
「立て込んでいるみたいだから、またリビングで話しましょう」
「ほら、包ちん行くよ」
 思わず声を上げた隆元に、元春が人差し指を立てて自分の口を塞ぐ。そしてかろうじて聞こえる小さな声で、隆元にリビングへ降りると告げた。
「はぁ?い、隆兄貴また後でねー」
「包ちん!シッ!」
「隆景」
 慌ただしい嵐が過ぎ去るまで、隆房は黙ったままだったが、秀包の「また後で」と言う声がはっきりと聞こえていたらしく、嘲笑うような声音が返ってきた。
『随分と気の利く弟さん方だ、これでゆっくり話せる』
「わざわざ電話まで掛けてきて何の用ですか?」
『用?随分と上から物を言うな、隆元』
 吐き捨てるように言う隆元に、隆房は尚も不敵な笑みを浮かべているであろう声で続ける。
『何、随分と身体の相性も良くて気に入ったんでね、今夜また会えないかと思ってな』
 明日も休みだろう?そう言った隆房の声は若干浮かれ気味だった。
「今夜は弟たちが久しぶりに泊まりに来ているのでお断りします」
『ほう、お前の父の許可を取ってあってもか?』
 珍しくきっぱりと断ったが、戻ってきたのは信じられない言葉だった。家族の団欒をいつも楽しみにしていて、家族で過ごす時間を誰よりも大切にしている元就が、隆元を再び隆房の処へやるのを許したと言うのか。
「そんな…父さんが許す訳ない!」
 声を荒げると、隆房は不敵に笑った。
『最初は確かに断ってきたさ、だがな、取引中断の話を持ち出したら二つ返事でOKしたぞ』
 そんな筈がない。子煩悩で、誰よりも家族を大切にする元就が、仕事の事で脅されたからと言って、隆元を売るような真似はする筈がない。
「そんな……」
『嘘だと思うなら父に聞いてみろ。うちで夕飯を馳走すると話してあるから今夜中には帰してやる』
「…………」
 隆元が押し黙ると、隆房は好機と見たのか畳み掛けてくる。
『もし来ないと言うなら防犯カメラの映像を銀行に送ってやろう。勿論お前が俺の上で必死になって腰を振っている様をな』
「……わかりました。その代わり今夜中に帰してくれるのならば今から来て下さい。夕食は家族と食べたいです…」
『良いだろう、30分程で迎えに行くぞ。じゃあな』
 隆元は絶望感に包まれた。元就に聞くのも怖くて、だが聞かずにはいられなかった。思い切って聞いてみようと、隆元は部屋から出た。



 リビングに降りて行くと、3人の弟と元就が仲良く話をしていた。最近の仕事の景気のこと、宗勝のこと、今年の春から元春の職場へ入った秀包と同い年の少年の話。この家に皆が集まるのは、もうかれこれ3ヶ月ぶりだから、積もる話もあるだろう。
隆元はその中へ割って入ると、元就の前に立ち塞がった。
「父さん」
「隆元、お前また陶君のところへ行くそうだな」
「父さんが私を売ったのは本当ですか?」
「売った?俺はお前が陶君と食事をしたがっているから説得してくれるように頼まれたとしか聞いてねぇぞ」
 謀られた。元就は本当に何のことか分からないと言った表情を浮かべている。
「本当なら断るトコだが、お前がどうしても説得して欲しいって言うから、夕飯だけは許可してやったんだ」
「そう…ですか……すみません、変なことを言って…」
 強気に出ていたかと思ったら急に萎縮してしまった隆元を、訝しげな視線で見遣る。他の兄弟達もひやひやした顔で二人のやり取りを見ている。
「お前、何かあったのか?」
「何でもありません、確かに陶さんに頼んだのは私です。でもやっぱり夕食は皆で食べたいので今から行ってきます」
「じゃあ隆兄貴帰ってくんの!?」
「そうだよ、秀包。父さん、空気を壊してしまってすみませんでした。支度をしてきます。もうそろそろ迎えに来る頃なので」
 秀包の頭を優しく撫でる隆元の顔は何処か寂しそうだった。しかし、それは聞いてはいけない雰囲気で、流石の秀包もクリクリした目で隆元を見詰めるだけだ。
 静かに階段を上って行く隆元に、誰も声を掛けることは出来なかった。



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