秀包
「はじめまして、毛利さん」
 宗勝が後ろから声を掛けると、秀包はビクっと震え、それと同時に30センチ程の高さまで積み上げられた鉄クズの山が崩れ落ちた。
「アンタ何?」
 振り向いた秀包はジロリと宗勝を睨み付ける。ただし、少し垂れた大きな目とふっくらとした唇のおかげで、迫力はそれほどない。
「今日からココで働くことになりました、乃美宗勝と申します」
「ふーん、俺秀包」
 睨み付けたまま、値踏みするような目で上から下まで見遣ると、ぷいとまた鉄クズ遊びに熱中し始めた。
 よく似た兄弟だと宗勝は思う。しかし性格は正反対のようだ。まだ社会人になったばかりの所為か、お世辞を知らない。そこへ、工場内に隆景の声が響きわたる。
「包ちーん、さっき入った車オイル交換しといてくれる?俺、別件で手が離せないのー」
「おっけー!」
 人間関係はイマイチだが、その割に仕事は慣れているようで、隆景に命じられると、鮮やかな手付きで小柄な身体で車の下に入り込み、オイルを抜いて見せた。その鮮やかな手付きに、宗勝は釘付けになる。今までデスクワークしか経験のない宗勝にとって、車体の底から汚れたオイルが出て来るのは新鮮で、栓を締めた秀包が車の下から出て来るまでしゃがんでその様子を眺めた。そして車の下から出て来た秀包を素直に、心から褒めた。
「手際が良いですね」
「当たり前だろ」
 誉められた秀包はどこか照れ臭そうで、ボンネットを開け、新しいオイルを注ぎ足しながら、ちらりと宗勝を見て顔を赤くした。どうやら人付き合いが苦手なのではなく、新しく上司が増えたことが気に入らないようだ。
「宗勝と申します。よろしくお願いします、毛利さん」
 もう一度挨拶。そして右手を秀包に向かって差し出した。
「よろしく、……宗勝サン」
 すると秀包は軍手を脱ぎ、差し出された手を握った。その手はまだ小さく、立って並ぶとその背の小ささが際立った。
 あぁ、彼はこの身長のことを気にしてなかなか立ち上がらなかったに違いない。今までの嘯いた態度もこの所為なのだ。そう解釈し、宗勝は握った手を軽く振った。
宗勝サン、ね。
 照れ臭そうに宗勝の名を呼んだ少年が愛しくさえ思える。見た目は似ているのだから、きっと隆景も幼い頃はこんな感じだったのだろうな、と思うと、自然と頬が緩んだ。そこで自覚する。隆景に一目惚れしていたことを。それを秀包に重ねているのだ。それは秀包にはとても失礼なことだから必死で想いを振り払ったが、どうしても隆景の影が消えない。
 笑顔で「よろしくな、乃美君」と言った隆景の声がフラッシュバックする。社長なのだから疚しい事を考えることはいけないとは分かっていながら、秀包に柔和な笑顔を向けた。
「これ、差し入れです。今は休憩中なのでしょう?」
 ポケットから外の自動販売機で買ってきたオレンジジュースを差し出した。120円の薄味の大きい缶ではなく、最初だし、と150円の濃い目の味の粒入りの小さい缶のオレンジジュースを買ってきたのだが、秀包が気に入っているのはどっちのオレンジジュースだったか聞いておけば良かったと半分後悔していると、秀包は大きな目をキラキラさせながら受け取った。
「おおおお!コレ150円のヤツじゃん!マジで?イイの?」
「構いませんよ、私が毛利くんのタメに買ってきたものですから。自販機の物で申し訳ないのですが…」
 どうやら正解だったらしい。話を聞くに、毎日飲むには120円と手頃で大きな缶の方をついつい買ってしまうが、たまに買う、この150円のオレンジジュースの方が遥かに美味しいのだと秀包はオレンジジュースについて切々と語った。余程好物なのだろう。
しかし掴みはOKだ。
「あ、俺のことは『秀包』でオッケーだから。宗勝サンが慣れたら名前で呼んでもいいよ」
「そうですね、暫くは毛利さんのままでいさせてください」
 そして暫し。秀包はオレンジジュースを飲み干すと、器用に3メートルほど離れた空き缶入れに放り投げた。缶はまるで吸い寄せられるように空き缶入れに入った。それを確認する前に、秀包が宗勝に向き直り、両腕を組んで立ちはだかった。
「もしかして俺って宗勝サンの教育係だったりする?」
「えぇ、色々教えてくださいね」
 しょうがねーの。そんな風に毒吐きながら再び鉄クズ積みを始める秀包を、宗勝は目を細めて眺めた。



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