穢れ
 初めて身体を重ねたあの日から、元春の事を想わない日はなかった。優しく抱かれ、至福の内に幕を閉じた夜伽は、隆景を、悪く言えば腑抜けにした。しかし、武士としての本分は忘れた事はなかったし、職務もしっかりこなしていた。寧ろ、以前よりもしっかりしてきたと言っても良い。
 しかし、破滅の時は突如として訪れた。
 隆景17歳。父に呼ばれ、吉田郡山城へ戻った時のことだった。
「隆景、元春、お前たち二人を連れて山口へ行く」
「父上…私は…」
「隆元、お前は俺様のいない間家を守ってろ」
「はい…」
 山口と言えば、隆元が15の時に人質として行った場所でもある。また誰かを人質として山口へ送るのだろうか。だが、吉川、小早川家当主となった二人を人質へ送るのは考え難い。となると何が目的なのだろうか。元春は了承こそすれ、さっぱり分からないといった表情を浮かべていた。
 それよりも気になるのは隆元の酷い落ち込みようだ。山口へ行く、と元就が言った瞬間は何処か期待に溢れた表情を浮かべたが、家を預かる様に言われた時にはガックリと肩を落とし、あからさまに悲しそうな表情に変わった。挙句の果てに父や弟たちの前だと言うのに、「義隆さま…」と小声で呟く始末だ。そう言えば隆元は義隆に随分可愛がってもらったと聞く。山口へ行くと聞き、それで恋しくなったのだろう。隆景は簡単にそう考えた。
 結局は毛利、吉川、小早川の両川体制の成立の成功の報告へ行くのだと、後から元春と隆景の二人には告げられた。
そして山口の大内館へ発つ日、複雑な表情を浮かべる隆元を背に、3人は供を連れて旅立った。



「おお、よう来たな、元就」
「は、上様におかれましてはお達者なご様子で…」
 いつもの父とは違う、平伏した姿に違和感を覚えたが、立場上仕方なく、公私混同しない偉い存在なのだと実感する。それに比べ義隆は権力の上にのさばり、値踏みするような目で隆景と元春を見ていた。
「堅苦しい挨拶はよい、それよりもそなたは余程美人の嫁を貰ったのか、相変わらず息子たちは美童揃いだな」
 扇子で思わずにやけてしまう口元を隠した義隆が、隆景には滑稽に映った。好色そうな雰囲気は口元だけでなく、細めた目にも表れていたからである。何気なく顔を上げてしまった時、うっかり目が合ってしまい、慌てて頭を下げたが、その時の目は明らかに何かを狙っている目だった。
「もちろんそなたも整った顔立ちをしておるぞ」
「お褒めに与り光栄に存じます」
 元就は端正な顔立ちをしていた。それは元春にも脈々と受け継がれ、凛々しさと優しさを兼ね備えた良い顔をしている。隆景はどちらかと言えば母の幸似で、ふっくらとした唇に大きな目。そして兄隆元にも似た中性的な顔立ち。しかし評判は隆元よりもずっと良い。何よりも隆景は 賢かった。だがそれが徒になろうとは欠片も思わなかった。
「時に又四郎よ、そなた今夜私の閨に来ぬか?」
 三人が、同時にピクリと震える。元就は隆元の事を思い出した。あの熱っぽい目。ふいに「義隆さま」と呟く時の吐息。紛れもなく寵愛を受けていただろうことは明白だった。そして隆元は義隆を慕った。だが隆景には元春がいる。こっそりと忍んではいるようだが、隆元が「二人が自分を除け者にする」とやっかんでいるように、二人きりの時間を多くとる元春と隆景のことは怪しんでいた。確信に似たその関係は、義隆の言葉で引き裂かれようとしている。
 しかし、それを今此処で言うのだろうか。こっそりと言ってくれれば、元春に素知らぬ顔をして会う事が出来たのに。だが隆景に断る余地はなかった。例え元春が聞いていたとしても。幾ら毛嫌いしているとは言え、逆らう事は出来ない。隆景は断腸の想いで答えた。
「喜んで参ります」
 軽く上げていた頭を下げ、隆景は気付かれないように、吐き捨てるように言った。その直後、隣で元春が唾を飲み込む音が聞こえた。


 夜。隆景は薄い襦袢を着て義隆の閨へ向かった。まだ肌寒かったが、それよりも怒りに震えていた。握り締めた拳は掌に短く磨り揃えられた爪を立て、小さな窪みを残す。痛みよりも、義隆に抱かれる事を思うだけで、切なさが込み上げてきた。
「義隆様、隆景です」
 冷たい廊下に正座をして、襖の前で待った。少しの間を開けて、義隆の声が返ってくる。
「おお、入れ」
 言われるがままに閨へ入ると、義隆は襦袢の前を寛げて布団の上で胡坐をかいて待っていた。
「こっちへおいで」
 一歩、踏み出そうとした時に足が震えた。恐怖ではない。矢張り怒りだ。隆景は確信する。目の前にいるこの男が、義隆が、吐き気がするほど嫌いなのだと。そんな自分を叱咤しながらゆっくりと義隆に近付く。下手に挑発しないように出来るだけ慎重に、淡々と。
「前に会った時よりも美しくなったな、隆景」
「滅相もございません…」
「謙遜するな、そなたの唇は柔らかそうだ」
 言うなり義隆は隆景を抱き締め、厚ぼったい唇に口付けた。元春以外とする初めての口付けは、怖気が立つほど気持ちの悪いもので、ぬるりと差し込まれた舌を押し返そうとするが、結果自ら舌を絡めているように感じられてしまい、義隆を悦ばせる事になってしまった。
「そなた情交は初めてではないな」
「……はい、一度だけ」
 答えようか迷ったが、下手に経験がないと言うと喜びそうだったので、正直に答えた。
「一度でその舌技を手に入れたのか。相手はさぞや熟練の者なのだろうな」
「いえ、そのような…」
 まさかお互いに初めてだったとは言えない。しかも舌技を披露したのではなく、嫌がって押し返そうとしていたのだ。とても本当の事は言えない。
「まぁ良い、夜は長いのだからな」
 義隆の手が隆景の襦袢に掛かる。隆景は正座をしたままジッと脱がされるのを待った。冷たい外気に肌が触れると、全身に鳥肌が立ち、乳首もツンと勃ち上がる。
「まだ初い色をしているな」
「うっ…」
 義隆が身を屈め隆景の乳首に舌を這わす。隆景をゆっくりと押し倒すと、両足の間に滑り込み、襦袢の帯を解くと袷を全て開いた。片側の乳首ばかりを執拗に嬲ったかと思えば、反対側を指先で捏ね繰り回す。両方を弄られ、隆景は不覚にも元春のぎこちない愛撫を思い出し、僅かながら快感を感じ始めていた。手管に長けた義隆と、まったく性経験のない元春を比べるのもおかしいとは思ったが、何よりも身体に起きつつある変化に隆景は嫌気がさした。
「胸だけで勃ちおるか」
 隆景が下唇を噛み締めたのに気付くと、武士とは思えない細ばった指が、褌の上から隆景の陰茎を揉みしだく。男の性感帯なのだ、そこを責められては我慢のしようがない。
 せめて声だけは我慢したい、と必死で息を飲むが、ホウッと熱い吐息が漏れ、却って義隆の興奮を煽ってしまった。
「色っぽいな、艶やかだ」
 性急に褌が取り払われると、勃起した陰茎が現れた。義隆も隆景の足の間に居座ったまま身に纏ったものを脱いでいく。そして隆景が反射的に義隆の股間に目を遣ると、赤黒く、矢張り勃起した陰茎が露になった。咄嗟に思い浮かんだのは、幼いころ元就と風呂に入った時の事だが、その時はこんな嫌悪感は感じなかった筈だ。
 これが排泄器官を使って自分の身体の中に入ってくるかと思うと、吐き気すらもよおす。
「歳はいくつだったかな?」
「…17になりました」
「17歳の色香とは思えないな、髪も隆元より柔らかい。そうだな…猫の毛のようだ」
「あ、兄上をお抱きになったのですか」
 会話で夜が誤魔化せたら、と、喉の奥から声を絞り出す。しかし、その話題は、隆景の失敗だった。
「勿論。妬いているのか?」
 にやりと好色そうに笑う義隆への嫌悪感は増すばかり。誰が妬くものか。そう言えたらどれだけ楽だろう。
「心配せずともこの三月たっぷり可愛がってやろう」
「うあ…っ」
 義隆は濃い橙色の壺から香油を掬い取ると指に絡ませ、隆景の肛門に挿し込む。元春よりも細い、節くれ立った指が直腸を掻き回すと、隆景は快感に震えた。香油のおかげで動きも初めて元春とした時よりずっと滑らかで、中でぐるりと指を撫で回されても圧迫感すら感じなかった。感じたのは僅かな、悦楽。
 あぁ、これで隆兄はヤられたんだ。
 そして心まで持っていかれてしまったのだ。一番多感な年頃にこれだけの愛撫を受けていれば自分もどうなっていたか分からない。しかし隆景には元春がいる。必死で一度きりの情交を思い出しながら、穢れた身になっても尚元春が自分を愛してくれると信じて隆景は耐えた。
いつの間にか指は二本に増やされ、ばらばらに動き、隆景を蹂躙する。しかし、ばらばらに動いているとはいえ、片方の指は確実に隆景の前立腺を責め立て、思考すら蕩かしていった。
「頃合いか」
 隆景の全身が桜色に染まり、はぁはぁと荒い息を吐くようになった頃、義隆は陰茎に香油を塗りたくり、隆景の肛門に宛がった。最初は軽く押してつつく様に肛門を押し広げる。やがてそれに慣れてくると、くびれた部分までを一気に突き入れた。
「あぁ!」
 大きさ自体は元春とそう変わらない。しかし、義隆は熟練の手練だ。同じ挿入でも流れが違う。どうしても元春の情交と比べてしまって、「春兄だったら、春兄だったら」と雑念ばかりが脳裏を過る。当然義隆の方が腕は良いのだが、初々しい元春の愛撫の方が、自分を大事にしてくれているようで隆景は好きだった。義隆の愛撫は全て己の快楽の為にある。
「ハツモノでないのが残念だが、具合がいいな…っ」
 狭い隆景の直腸に、義隆が余裕なさげに呟く。腰を振りながら口付けられると、先程までの雑念も吹き飛ぶほどに強い快感に襲われた。それでも隆景は目を閉じ、義隆の声から耳を閉ざして、只管元春の事を想う。
「目を開けよ」
 びくりと震える。目を開けてしまったら、そこにいるのは義隆で元春ではない。だが、いつまでも目を閉じている訳にはいかない。ゆっくりと暗闇に慣れた目を開く。蝋燭の灯りがやけに眩しく感じた。
 相変わらず好色そうな義隆の顔が目に入り、隆景は涙を浮かべた。しかし蝋燭に揺らめく涙に濡れた瞳は酷く扇情的で、隆景の中で義隆がまた大きくなった。
「あっ」
 目を閉じてはいけないと言われると余計に意識してしまい、何度も瞬きを繰り返す。義隆の律動に合わせて目を瞬かせると、面白そうに動きを変えて隆景を翻弄した。
「もう…お許しください…っ」
 隆景が涙ながらに訴えると、義隆は挑発的な笑みを浮かべ、無情にも告げた。
「そうだな、そなたがねだってくれるのであらば、もう終わりにしてやっても良いぞ」
 何と屈辱的な事か。只でさえこれからの事を考えただけで自殺してしまいたいくらいの気分だと言うのに、その上「イかせろ」とねだって見せろとは。しかし隆景に選択肢は残されていなかった。もうこの汚らわしい行為から抜け出すには言うしかない。そうでなければ、義隆は明け方まで隆景を苛むだろう。
「義隆様…イかせて、ください…」
 強く唇を噛み締める。それすらも義隆にとっては悦楽を煽るものでしかない。征服欲が刺激されるのだ。隆元のように従順なのもイイ。だが、隆景のように従順そうに振る舞いながら、芯では反抗心を抱き、時折鋭い目を見せるのも嫌いではない。酸いも甘いも舐めつくしてきた義隆は、好感ではないものの、稀にみる美童である隆景に確実に惹かれている。
「いいだろう」
 言うと、義隆は律動を早め、隆景の前立腺を責め立てる。
「ンあ、あぁっ!ぅああ!」
 突如として激しくなった動きに身体が付いて行かず、ガクガクと全身を震わせたまま無理矢理に達せられたのだった。そして達した時の肛門の収縮を利用して、義隆も達し、隆景の体内へ当り前のように精を放った。
「湯は温めてある。しっかりと精を洗い流せよ」
「…はい」
 行為が済んでしまえば隆景は用無しだとでも言いたいのか、事後の義隆は元春とは違い全く優しくはなかった。寧ろ冷たいと言っても良い。まるで隆景から興味が失せたのかと思うほどに、無関心だった。立上がると腿を伝い落ちてくる精液の不快な感覚に顔を顰めながら、義隆の用意した手拭いで尻を軽く拭い、襦袢の前を合わせると湯殿へ一人向かった。
「春兄…私、汚れちゃったよ…」
 熱い湯に浸かりながら、隆景は一人涙した。



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